「悟り」の道具

以前書いた、「悟り」を産業化していくための条件として、主観的な世界を客観化して理解するための道具が必要だと書きました。

その続きとして、ではその「悟り」の道具とはどのようなものであるか?について書いてみたいと思います。

私たち人間は脳機能を通じて、5感覚からインプットした情報を認知し、その刺激を元に感情や考え、行動を展開しています。

最も直接的な刺激はご感覚を通じた、体感を伴う刺激です。

例えば、冷たい水に触ると「冷たい!」と感じます。

誰がなんと言おうと自分が冷たい!と思ったので間違いがありません。
このような主観的な体験は、一番確信が強くなります。
「どのように冷たかったのか?」「なぜ冷たかったのか?」という客観性を持った説明はできなくても、
「触って冷たかったんだから、冷たいんだ!」という体験を元にした論理が展開されます。

これが一番直接的な、動物的な体験をベースとしたインプットです。

次に人間が発明した言語を活用した脳へのインプットです。
例えば小説を読んで、感動することがあります。泣いたり、笑ったりすることもあります。

ただ「紙」を見ているだけなのに、そこに書いてある文字から様々な感情や考えを生み出しているのです。

同じ人間であっても、日本人がフランス語で書かれている文章を読んでも、理解が出来ない限り、感動しないですよね?

これは日本人が日本語のが持つ意味やイメージ、約束体系を共有しており、その約束体型をベースとして思考論理を展開することができるので、実際には紙を見ているだけなのに、
言語を通じてイマジネーションを膨らめ、あたかも小説の世界を見たり体験したかのように感動することができるのです。

この言語のレベルは日本語なら日本語、英語なら英語、フランス語ならフランス語とその言語の約束体系を共有している人の間では通用する、客観的に共有できるという利点がある一方で、そうでない場合は全く共有することが出来ません。

次に数式です。
これは日本人でもアメリカ人でもフランス人でも、
数字、数式の持つ約束体系を共有している人の間では世界共通で共有することが出来る利点があります。

「E=mc²」
この数式を見てどんな考え、感情を持ちましたか?
アインシュタインが発明したこの特殊相対性理論のこの公式の意味を理解できる物理学者や科学者にとっては、この数式を見て感動したり、これは大きな発明につながる人類の財産だと思うことでしょう。

でもわからない人にとっては何が価値があるのか?
何の意味も持ちません。
意識の宇宙が違うのです。

では、「悟り」の世界を理解、共有するための言語、または数式とは何でしょうか?

それは、「イメージ言語」です。
文字でもない、数式でもない、そして体感でもない、
「イメージ言語」によって、言葉や数字、主観的体験の限界を補い、言葉と数字の間を埋めていきながら、体感も取り入れながら、「不立文字」と言われた「悟り」の世界を紐解いていくことができるのです。