2011年04月17日のツイート

自分自身をどう思うか?

あなたは、自分はどのような人間だと思っていますか?
あなたのセルフイメージはどんなものでしょうか?
私はこういう人間だ、
私はこれが得意だ、
私はこれが好きだ、
私はこれが苦手だ、
私の職業はこれだ。

何でも良いんです。
深く考えないで、自己紹介するつもりで書きだしてみてください。

そして、そんな今の自分は、誰かに強制されて、なった自分でしょうか?
自分がなりたくて、自由に選択した結果、今の自分になったでしょうか?
それともなんとなく、気がついたら今の自分になっていたのでしょうか?

私たち人間は、どんなことも自由に決めることができるのです。
でもついつい、回りと相対比較したり、マスコミに踊らされたり、日々の生活や仕事で手一杯だったり、回りに合わせたりしながら、気がついたら今の自分に流れ着いた、そう感じる人は少なくないと思います。

でもそれがずっと続いてしまっては、主体性のある、自分が主人公の人生を送ることが出来ません。

本当は、誰もが、自分がドラマの主人公となって、活き活きと、自らの個性を開花させ、可能性を開花させて生きていく、楽しい人生を、悔いのない人生を送ることができるのです。

ただそれを阻んでいる社会のシステムや教育のシステムや、思考や情報に振り回されやすい現代文明の特徴があります。

これらを解決しながら、一人ひとりがいきいきと活きられる社会、教育、文化文明を創っていきたい、その想いをより一層強くしている今日この頃です。


「自分自身をどう思うか?」
それはあなたが自由に選択することができるのです。
そこから本当の人生が始まります。

2011年04月07日のツイート

朝起きた瞬間の考え、感情と向き合う

朝、深い眠りから目覚めた瞬間、
その一瞬の「無」の状態から、
みなさまはどんなことを感じたり考えたりしていますか?

今日も仕事かぁ〜。
疲れたな。
もう朝か・・
もっと寝たいのに・・
といった感情や、

今朝は何を食べようか?
何を来ていこうか?
今日一日何をしようか?
といった考え、

そして、
今日も一日楽しみだな。
どんな人に出会えるかな。
早く仕事をしたいな。
学校に行きたいな。
そんなワクワクする高揚感を持つ人もいるでしょう。

私たちは意識的にしろ、無意識的にしろ、
朝眠りから覚めた「無」の瞬間から、
次々に色々な考え、感情を引き寄せてきます。

そしてその引き寄せのパターンは、
その日とその人の過去の経験や知識をベースにし、
あっという間に今この「無」の状態を、たくさんの先入観や考えのくせ、思い方のクセで満たしてしまいます。

その結果、まだ始まっていない「今日」という日を、
すでに過去の情報知識をベースにして規定をし、
その通りの一日を過ごし、いつもどおりの一日となってしまうのです。

これがポジティブな楽しい一日になっているのであれば、
問題は感じないかもしれませんが、
いつもなんだかうまくいかない、
いつもあまり楽しくない
いつもやる気がでない、
そんなふうに感じる毎日を送っている人がいたら、
朝起きた瞬間に、意識を集中して、目覚めた瞬間の「無」から、どのような感情や考えが生まれてきているのかを書き留めてみると良いでしょう。
掛けない場合は意識して覚えておくだけでも十分です。

後ほど、その考えや感情がなぜ起きているのか?
いつからそうなっているのか?
何がきっかけだったのか?
をひとつひとつ紐解いて行くことで、
その原因を理解し、解決することが出来ます。

今起きていることは全て「結果」です。
その「結果」を引き起こしている原因を観ていき、
ひとつひとつ解決していきましょう。

2011年04月06日のツイート

科学と生活

イメージ言語を活用しながら、日々の何気ない生活の中に隠れている法則性を見つけて、体系化して、再現可能か実験してみる。

それが僕の趣味でもあり、ライフワークです。

ある程度の科学の知識を詰め込んで、
あとは自分の感覚を大切にし、イメージ言語を活用しながら、多様な事象を言語化し、整理していくのですが、
そこにはたくさんの発見と驚きがあります。

今はまだ、あまり複雑な事象には適用するのは僕には難しいですが、シンプルな事象に適用し、解明していく。
そして自らがその法則性のとおり行動し、試してみる。
そこで得た確信を、第3者にも伝達し、共有することができるのか?共感してもらうことができるのか?現実的に再現可能な行為なのか?検証していく。

今まで漠然とされている多様な事象が、たくさんの人の手によって、もっともっと整理されて、伝達可能になり、新知識産業として大きく成長していって欲しい。それが次の日本の成長産業になっていって欲しいと願っています。

言葉や感情の源泉を大切に

インターネットを使ってモニターの中の情報空間ばかりに意識が向いていると、膨大な情報量や刺激が当たり前となってしまい、現実の目の前の世界、生活に物足りなさを感じたりすることはないでしょうか?

現実の生活では得られない刺激を求めて、無意識的に気がつくと携帯をいじってメールやネットを見ていたり、なんとなくネットサーフィンをして数時間が過ぎたり。

僕はそんな生活を、自覚なくしばらくしていました。
そしてそれについて何ら問題を感じることもなく、
当たり前のように、むしろ「自分は情報に敏感だな」「効率よく時間を使っているな」と満足感を持っていたほどでした。

しかしその弊害として、人の会話が遅く感じたり、まどろっこしく思えたり、面倒くさかったり、結論だけ先に聞きたい、結局これが言いたいのではないか?と頭で推論が動き、心で感じる機能が低下していたことを今になって自覚しています。

その人が何を感じているのか?
なぜそう感じているのか?
なぜ、その言葉が出てくるのか?
なぜ、その表情をするのか?
どうしてそのポイントにプラスやマイナスの感情が働いているのか?
そんな風に相手の話している背景を理解しようと心を研ぎ澄ませ、感覚を鋭くして話を聴くことは、まるで一本の映画を見ているような醍醐味を感じることがあります。

ただ情報知識としてインプットするのではなく、
その人の生き様、生き方を感じながら、エネルギーを感じながら言葉を聞く。
むしろ言葉は聞いていなくて、その言葉が生まれてくる背景を感じている感覚です。

誰か相手がいなくても同じことで、
今自分が感じていること、考えていること、それがどこから生まれてくるのか?なぜそう感じたり、考えているのか?

それらを意識しながら生活をすると、
ぐっと深みのある味わい深い時を過ごすことが出来、
たくさんの気づきが溢れてきて楽しくなりますよ。