「自分」と「自分以外」の境界線

「自分」と「自分以外」を区別する、その境界線とは何でしょうか?

普通に考えると目で見て、「この体の範囲」が自分であり、体以外が「自分以外」と感じるでしょう。

そう感じるのは、前提条件が「目で見て」いるからです。
この前提条件が変わった場合は、どうなるでしょうか?

目、つまり視覚の機能は、可視光線の一部だけを認識するようになっています。それ以外の赤外線やγ線β線といった、可視光線以外の領域については目で見て認識することは出来ません。「存在していない」のではなく、ただ単に、人間の視覚の機能では認識が出ないということです。
鷹の目を持てば、見てる範囲が違いますし、
望遠鏡や顕微鏡、赤外線カメラなどを使えば認識出来る範囲でもあります。

目以外の機能を使って認識した場合には、体の範囲の境界線は崩れ、どこまでが自分でどこからが自分以外かが不明確になります。

条件が変われば境界線が変わり、どこまでが自分で、どこからか自分以外かという議論が意味をなさなくなっていきます。

これは何を意味するのかというと、
全ては繋がっているのに、それを認識する条件の数だけ境界線が生まれるということになります。

この体の範囲が「自分だ」という大前提、確信を一度疑い、その固定概念から離れて、ゼロベースで「認識のパラダイム」について考えてみることで、大きな気づきが生まれてきます。