言葉が持つ「念」

「悟り」
この「悟り」という言葉は強烈なイメージを持つ言葉だと思います。

「悟り」という言葉からどんなイメージを連想するでしょうか?

言語には、それ自体に強烈なイメージが付随しています。
プラスのイメージ、マイナスのイメージ、楽しいイメージ、暗いイメージなどなど。

「悟り」ということだだけではなく、
「愛」「神」など、日常生活であまり使わず、かつ心の領域に踏み込む言葉、見えない世界を表現する言葉には強い先入観がまとわりついています。

これが、「電話」「テレビ」などの物質を表す言葉でも、
「電話」「テレビ」から想起するイメージは人ぞれぞれに異なります。

「電話」から便利、楽しいをイメージする人、
うるさい、嫌いをイメージする人、
「テレビ」から家族団欒、癒しをイメージする人、
つまらない、高いなどのイメージをする人、
人それぞれです。

このように「言葉」には、その人が過去に経験をしたイメージと紐付けて理解しようとしてしまう問題があります。客観的、中立的にありのままに理解をするのではなく、固有の「念」が入ってしまうのです。

その異なる「念」と「念」を持った状態で人と人が言葉でコミュニケーショをするので、どうしてもイメージに相違があり、分かり合えなかったり、時に喧嘩になったりもします。

禅の世界では、「不立文字」(文字にしても伝えることができない)という言葉があるように、「念」が邪魔をして、相手の伝えたい真意が伝わらない、だから、一切の文字や言葉による伝達を避けて、釈迦と同じ体験、すなわち座禅にひたすら励むしかないという論理展開になっています。

しかしこの心の世界、悟りの世界は、どんどん解明されてきており、究極の主観の世界である「悟り」と、科学技術の集大成である、究極の客観の世界、最終理論とが重なりあってきたのが、21世紀の現代社会です。

悟りについての本を幾つか挙げてみましょう。

悟りは3秒あればいい

悟りは3秒あればいい

幻想と覚醒

幻想と覚醒

一瞬で宇宙とひとつになれる真我瞑想-新装版

一瞬で宇宙とひとつになれる真我瞑想-新装版

私も全部読んだわけではないですが、
今までアンタッチャブルだった「悟り」の世界が、
伝達可能となり、商品化、サービス化、ビジネス化してきているという事実があります。

これは新経済大陸の発見です。

「悟りの世界」「真理の世界」をお金にするのはけしからん!とおっしゃる方もいますが、これは誤解で、悟りや真理が誰か個人のものになるわけでは決してありませんし、誰かが所有して売り買いすることはできるはずがありません。

厳密には、「悟り」や「真理」に気づく、理解するその階段、道具、方法論を提供し、お金を貰っているのです。

今まで宗教の専売特許だったこの領域を民間の企業が、個人が参入して、健全な競争が起き、切磋琢磨して品質が向上し、透明性が高まり、価格が下がるという流れは、モノづくり産業が停滞している日本にとって無視できない新しい経済成長の流れです。

これから始まる新教育産業は、ずばり「悟り」を伝播していく教育産業、「悟った人」を大量生産していく競争時代に来たのだと思います。

言葉には、もれなく「念」がくっついているという話から、
「悟りの産業」へと話が大きく飛躍した第2回でした。。。